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恋の火遊び/令嬢ジュリー―ヨーハン・A・ストリンドベリ戯曲

ヨーハン・アウグスト ストリンドベリ
Johan August Strindberg
単行本
中央公論事業出版
164ページ
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令嬢ユリエ (岩波文庫)

ストリントベルク
茅野 蕭々
文庫
岩波書店
88ページ
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大海のほとり (岩波文庫)

ストリントベルク
斎藤 〓
文庫
岩波書店
288ページ
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死の舞踏

アウグスト・ストリンドベリ
毛利 三弥
単行本
《リキエスタ》の会
125ページ
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一人舞台

アウグスト ストリンドベリ
森 鴎外
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真夏の夢

アウグスト ストリンドベリ
有島 武郎
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13ページ
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もう、夢みたいなことばかり言って!! (読書がたのしくなる世界の文学)

ハンス・クリスチャン アンデルセン
単行本
くもん出版
155ページ
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アウグスト・ストリンドベリ−

地平社
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著者の詳細

ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ

ヨハン・アウグスト・ストリンドベリJohan August Strindberg  聞く、1849年1月22日 - 1912年5月14日)は、スウェーデンの劇作家、小説家。ユーアン・オーグスト・ストリンドバーリィとも。

生涯と作品

ストックホルムに生まれる。ウプサラ大学に入り自然科学を修めたが、中途で退学し1874年に王立図書館助手となり、その間1870年に王立劇場へ《ローマにてI Rom》という一幕物を提出して採用され上演。1872年に史劇《メステル・ウーロフ師 Mäster Olof》を発表したがそれは認められず、憤懣のはけ口として1879年に諷刺小説《赤い部屋》を発表して名声を得た。1877年に男爵夫人であったシリ・フォン・エッセンと結婚する。史劇、童話劇、ロマン的史劇等を発表し1883年にフランスに行き、1885年に社会主義的傾向の短篇集《スイス小説集 Utopier i verkligheten》《結婚 Giftas, 1884-85年》を書き、後者は1884年に宗教を冒涜するものとして告訴され、フランスから国外退去を命ぜられた。

自伝的小説《女中の子 Tjänstekvinnans son, 1886年》《ある魂の成長 En själs utvecklingshistoria, 1886年》《痴人の告白 Die Beichte eines Thoren, 1893年》を発表。この最後のものはフランス語で書かれ、ドイツ語ではじめて発表された。のちゲーオア・ブランデスとフリードリヒ・ニーチェの影響のもとに精神的貴族主義に転じ、小説《チャンダラ Tschandala, 1889年》《大海のほとり I hafsbandet, 1890年》を書いた。

1891年に離婚し、1892年、ベルリンに移った。居酒屋「黒仔豚亭」で、ポーランドのジャーナリストスタニスワフ・プシビシェフスキや、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクと交友を持った。1893年オーストリアの女流作家フリーダ・ウールと結婚したが2年後に不幸な結果に終った。1894年パリに移り、自然科学、特に錬金術に没頭する。またスヴェーデンボリの影響をうけて神秘主義に接近し、不幸な結婚生活を回顧して自伝的小説《地獄 Inferno, 1897年》《伝説 Legender, 1898年》を書き、また戯曲《ダマスクスヘ Till Damaskus, 1898-1904》によって自然主義から離れた。

1899年からストックホルムに定住し《グスタフ・ヴァーサ Gustaf Vasa, 1899年》をはじめ多くのスウェーデン史劇、ルターを主人公とした《ヴィッテンベルクの夜鶯 Näktergalen i Wittenberg, 1903年》を書いた。1901年に女優ハリエット・ボッセと結婚したが1904年に離婚。長篇小説《ゴシックの部屋 Götiska rummen, 1904年》《黒い旗 Svarta fanor, 1907年》は、このころの混乱した精神から生まれた。1907年に〈親和劇場〉を設立しその劇場のために《室内劇 Kammarspel》を書いたが、経営困難のため3年後に閉鎖。晩年の随筆集《青書 En blå bok, 1907-12年》には、ふたたび社会主義的な関心が示されている。

逸話

オカルト研究でも知られ金の製造の研究をしていた。若い頃から科学ファンであったし「アンチバルバルス」を書いた時は大科学者としての名声を期待したが「詐欺師」「馬鹿」と言われた。

画家のカール・ラーションとは1879年から交流があり、ラーションに著書の挿絵を依頼したりしたが、1908年にストリンドベリが著書でラーションを批判したことから、二人の関係は終結した。いっぽう、画家のリッカルド・ベリと1889年より交流を持ち、ベリがストリンドベリを描いた肖像画はベリの最も有名な絵画の一作となった。

主作品(前記以外)

戯曲

  • 父 Fadren, 1887年
  • 友だち Kameraterna, 1887年
  • 令嬢ジュリー Fröken Julie, 1888年
  • 降臨節 Advent, 1899年
  • 死の舞踏 Dödsdansen, 1901年
  • 白鳥姫 Svanevit, 1902年
  • 夢の戯曲 Drömspelet, 1902年
    • 訳書に『ストリンドベリ名作集』 白水社、2011年5月
      「父」「令嬢ジュリー」「ダマスカスへ」「罪また罪」「死の舞踏」「幽霊ソナタ」の6作品。

小説

  • 島の農民 Hemsöborna, 1887年
  • 孤独 Ensam, 1903年
  • 歴史の縮図 Historiska miniatyrer, 1905年

外部リンク

  • Strindberg museum
  • Strindberg in Austria
  • Strindberg & Helium, a comedic multimedia interpretation of Strindberg's Inferno
  • August Strindberg Society of Los Angeles, Learn about the great Swedish dramatist at the TASSLA site; plays, discussions, photos, drawings, quotes and reviews.
  • ストリンドベリ戯曲一覧愛川今生作成
  • ストリンドベリ アウグスト:作家別作品リスト - 青空文庫


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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