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遠征 (1957年)

サン=ジョン・ペルス
福田 陸太郎

昭森社
67ページ
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サン=ジョン・ペルス詩集 (1975年)
多田 智満子

思潮社
248ページ
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サン=ジョン・ペルス詩集 (1967年)
多田 智満子

思潮社
248ページ
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Winde. Franzoesisch und Deutsch.

Saint-John Perse
ハードカバー
Suhrkamp Verlag KG
175ページ
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LES CAHIERS DE LA NRF; courrier d'exil

Saint John Perse
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LES CAHIERS DE LA NRF; Alain Bosquet correspondance avec Saint-John Perse

Saint John Perse Alain Bosquet
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LES CAHIERS DE LA NRF; lettres à une dame d'Amérique, Mina Curtiss

Saint John Perse
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Les cahiers de la nrf correspondance de saint john perse et dag hammarskjold

Hammarskjold Dag Saint John Perse
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Lettres a l'etrangere

Saint John Perse
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Cahiers saint john perse n.9

Saint John Perse
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著者の詳細

サン=ジョン・ペルス

サン=ジョン・ペルス(Saint-John Perse, 1887年5月31日 - 1975年9月20日)は、フランスの詩人、外交官。本名マリー=ルネ・オギュスト・アレクシ・レジェMarie-René Auguste Alexis Leger)、略称はアレクシ・レジェAlexis Leger)1960年にノーベル文学賞を受賞した。

人物

サン=ジョン・ペルスはフランス海外県のグアドループのポワンタピートル(Pointe-à-Pitre)で生まれた。父親は弁護士でグアドループに住んでいた。ペルス一家は、自らが所有する2つのプランテーション(1つはコーヒー、もう1つはサトウキビ)の管理栽培していた。

1897年、グアドループの議会初の現地出身の議長であるエジェジップ・レジティミュス(Hégésippe Légitimus)は、入植者に対する報復的政策を打ち出し経営が成り立たず。ペルスの家族はフランスに引き揚げ、ポーに住むこととなった。ペルスはフランス本国には疎外感を抱き、ハイキング、フェンシング、乗馬、セーリングなどのスポーツにのめり込むようになっていった。

1904年、バカロレアを得て、ボルドー大学で法学を学び始めた。また文化クラブに顔を出すようになり、そこでフランシス・ジャム、ポール・クローデル、オディロン・ルドンらと出会った。処女作であるロビンソン・クルーソーの翻訳を出版し、次にピンダロスの翻訳を手がけた。1907年、父親が亡くなり、家庭の財政状況が厳しくなって大学を退学したが、学位は取得することができた。1910年に詩集『Eloges 賛』を出版した。

1911年、フランス外務省に入り、1年目はスペイン、ドイツ、イングランドで勤務。第一次世界大戦が始まると報道担当となった。1916年から1921年にかけ、北京のフランス大使館で勤務。1921年、ワシントンで行われた軍縮会議に出席した際に、首相だったアリスティード・ブリアンに見初められ秘書となった。パリではアンドレ・ジッドやポール・ヴァレリーの主催する文芸サークルや、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ナディア・ブーランジェ、フランス6人組らがいた音楽サークルに参加した。同じ外交官・詩人ポール・クローデルとは師弟として深い交流関係が続いた。

1924年、サン=ジョン・ペルスというペンネームを初めて用いて『Anabase 遠征』を出版した。1932年にブリアンが亡くなり、フランス外務省の要職に就いた。1933年から1940年にかけ政府の不安定な時期に外務省事務総長を務めた。1938年に行われたミュンヘン会談では首相エドゥアール・ダラディエの随員となり、チェコスロバキアのドイツへの領土の譲渡に反対したが失敗に終わった。ナチス・ドイツのフランス侵攻の最中の1940年5月18日にポール・レノー首相によって解任され、フランスを離れアメリカ合衆国に亡命した。

ヴィシー政権は、レジオンドヌール勲章を剥奪し市民権も奪った。パリの留守宅は占領してきたドイツ軍によって荒らされた。サン=ジョン・ペルスはアメリカ議会図書館に勤務するまで、しばしば財務困難に陥った。『Exil 流謫』は、その時の作品である。後にハーバード大学でも教えるようになった。

名誉回復がなされたが戦後も、アメリカ合衆国メイン州など各地を転住しつつ留まった。1957年、プロヴァンスに別荘が提供され、フランスとアメリカを行き来しながら生活した。1958年に裕福なアメリカ人ドロシー・ラッセルと結婚した。スウェーデンの外交官で、第2代国際連合事務総長のダグ・ハマーショルド(訳書「道しるべ」、みすず書房)と深い交流があり、ノーベル文学賞に推薦したのも彼である。近年、英語版で往復書簡『The Poet and the Diplomat 詩学と外交』が出された。

1960年度ノーベル文学賞を受賞した。1965年、ダンテ生誕700年記念式典で講演した。1975年にプロヴァンスの別荘で亡くなった。

邦訳

  • 福田陸太郎訳 『遠征 Anabase』 昭森社、1957
  • 『世界詩人全集20 フランス編』 成瀬駒男編訳 新潮社、1969 
  • 多田智満子訳 『サン=ジョン・ペルス詩集』 思潮社、1967 新版1975
  • 有田忠郎訳 『風』(2006)、『鳥』(2008) 書肆山田
  • 『サン=ジョン・ペルス「遠征」研究』 松浦嘉一 非売品(1968)
  • 『詩と詩論 無限 第15号 サン=ジョン・ペルス特集』政治公論社 1964


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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